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Portret Feliksa Jasieńskiego autorstwa Konrada Krzyżanowskiego, 1901

 
     

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フェリクス・ヤシェンスキ

フェリクス・ヤシェンスキ

 

日本人即ち武士にして芸術家なり。

その胸中には武士道、祖国、芸術の三位一体たる思想。

その武器は剣、剣すなわち芸術作品。

 

日本刀は恐るべき武器であると同時に、全世界に並ぶものなき鍛冶技術の傑作である。徹頭徹尾民族固有の印を帯び、名人の技と洗練、完成された姿をもつ芸術作品である。一撃が巧みでさえあれば、一時に数首を刎ねることのできる刃――それ以外の部分は、画工、彫金工、組紐職人、塗師たち――芸術家にして職人、職人にして芸術家たちの腕の見せどころたる精妙な細工物である。単純にして驚嘆すべき妙想の尽きることない鉱脈――そして常ながら一点の非の打ちどころなきその仕上がり。いたるところ、常に、現れる装飾の天才、仕事への愛。生来の繊細な感性から発する入念な技、そして情熱、情熱に由来する新鮮さ――一見何気ないようでいて、その驚くべき優美さによって人を魅了する新鮮さ。(・・・)

直径平均七センチほどの小さな金属の円板――鍔。刀身と柄を隔てるこの小さな円板には中央に刀心を通す孔、さらにこれを挟んで、小柄の頭を通す二つの孔があいている。小柄は鞘に差し込まれているが、その鞘は様々な流儀で彫刻や漆によって加工され、装飾を施されている。この鍔ひとつをとっても、日本民族の生活に浸透した、驚くべき水準の芸術文化を示して余りある、雄弁な証拠であることは誰の目にも明らかである。こうした刀の鍔を数百,数千と集めた特殊なコレクションもあるが、二つとして同じ作りの鍔はない。鉄の打物 (鋳物は滅多にない)、青銅、時に金または銀で像嵌を施した、あるいはまれに七宝で飾った鉄の芸術。そもそも日本人は装飾に宝石を用いることはなく、身につける習慣もない。もしも贅沢を凝らすとすれば、人目につかぬようにするのが彼らの流儀。

日本の鍔が貴重な美術品だというのは、その素材の高価さに理由があるのではない。尽きることない発想力を持った画工・芸術家たちの、この上なく精妙な着想が、彫金工の巧みな技によって、この上なく精妙な形となって具現されている故にこそ素晴らしいのである。

草の茎にはじまり天の雲に至る、我々を取り囲む森羅万象が、鍔には描かれる。だが、特定の個人が個々別々に観察した自然を素材として活かし、芸術に翻訳したものでありながら、そこに必ず固有の民族性が現れていることにこそ、我々は驚き、感嘆を禁じえないのだ。

幾何学文様、動物に植物、人物に風景――そこに無いものはないのである。

その仕上がりは、意図的に荒々しい簡潔さ(しかし見る者が見れば必ず高度の文化がそこには透けて見える)から、殆ど魔法としか思えぬ、繊細極まる微妙な細工まで様々である。(・・・)

驚嘆すべき発想の豊かさ、優美さ、そして繊細さは、日本美術のすべての領域において、まず人の目を奪うのだが、当然青銅作品についてもこれは当てはまる。青銅器はまた最も古く、豊かな伝統を誇るジャンルでもある。花瓶、香炉、燭台、その他もろもろの工芸品が取る姿かたちは、まさに目の快楽以外の何物でもない。ある時は写実的に、またある時は様式化されて象られた様々の動物は、全人類の芸術中でも最も珍奇な傑作に属するものであると同時に、固有の民族性を多分に示すものでもある。

精妙な細工、珍妙な小物工芸,愛らしさ,優雅、朗らかさ、制作における猿の如き器用さ、発想における猿の如き巧知――これらは、例によって常のごとく、青銅作品にも発揮されているが、〔日本美術〕全体を広く公平な目でもって見渡せば、これも例によって常のごとく、また異なる見え方をしてくるものである。

何よりもまず造形家であること! 勿論そうあらねばならない。造形的でない美術など、存在理由もないからである。だがしかし、〔日本の〕造形家は、頭のない、心のない造詣家ではなかった。思想、魂、表情、雄大さ、戦慄そして憂愁――日本美術の中には「全て」がある。そして、正に日本的に活写された鳥たちが、神業によって捉えられた動きのままに飛び来たり遊ぶ花ざかりの木の梢、世界一精妙な色の使い手たちの考案する、見事な色彩の衣装で身を飾り、その面立ちは一様式にまで昇華せられた女たちの群れ――そうしたものを経てはじめて、またそこへ到達せんと志し、かつ成し遂げる力があってはじめて、その「全て」は獲得されるのである。

(・・・)

アジアの最果て、太平洋の中から、地球上で最も深淵なる海溝にほど近く、四千になんなんとする島々が隆起している。陰鬱な北方から、光と熱気に満ちた南方へと、エメラルドの首飾りをほどいて散らしたような島々、入り組む海岸線、それゆえに風光明媚な、この上なく豊かで多様な植物の繁茂する島々。

Xその島々を雲の上から見おろし聳え立つ、強大な?主のような、かつて猛威をふるったものの、今や物言わぬ火山――富士。幾世紀の昔から万年雪を頭に頂く、円錐形の巨人。(・・・)

人類の芸術史上これほどに親しまれた主題は、これほどの数の一流の作品を、しかもその扱い方においても、着想を具体化した素材の上からも、これほど多彩な作品を生んだ、あるいは生みうるほどの主題はなかったし、これからもないだろう。富士――それは殆ど日本そのものであり、日本美術における富士、それは殆ど日本美術そのものなのだ。(・・・)

祖国の多種多様なありとあらゆる美を、たえず眼前にしていたい――きっと日本人はそう願ってきたのだろう。(・・・)人々は、天然自然の奇蹟に魅入られ、飽かず歩き、眺めてはまた眺める。国旗軍旗にもその似姿の見えるあの火の玉が、金紫の光背に包まれてゆるやかに落ちゆき、はてしなき大海の力強く息づく懐中にようやく沈む頃、様々に細工された色とりどりの丸い提灯の点る頃、人々は、清浄こXの上なくかつ優美な畳茣蓙を敷き坐して、?のうちからあるいは箪笥から、東海道五十三次やら北斎漫画やらを取り出しては、茶を啜り、魔法にも似た美妙この上ない芸術の言語に移しかえられた造化の神秘を貪り、味わう。常軌を逸したこれら画狂人たち、書画病患者とでもいうべきこの民族・・・。

然ればこうした書画狂いの民衆に喜びをもたらし、また己のあくなき創造欲を満たさんと、芸術家の一大軍団は前進する。

この世で彼らの興味を惹かぬものは何一つとしてない。――草の茎這う一匹の蟻、一介の蜘蛛の巣に始まり、天を衝くばかりの鬱蒼たる針葉樹林、墨の一筆で再現するほかない細長く優美な葉をさざめかせる竹薮を抜け、色とりどりの群集で賑わう町々や、鏡なす湖面にここかしこ影を落とす静かな村々、あるいは瀑布の白く泡立ち、轟き、きらめく、渓谷の冷気と水の匂いの中を、はたまたひっそりと佇む村をよぎり、一切事を離れて全知ゆえに寛容英明なる微笑を湛えた仏像たちが「無」に溶融し、まどろみ、微かに黒ずむ黄金色に穂の仄光る薄闇を堂内にかかえ、外には彫刻芸術の粋を尽くした裳をまとう、お伽噺から抜け出たような寺院や、肩怒らせて背低き城郭の塀の下を抜け、炎暑、豪雨、吹雪、大風、霧もものともせず、魔術師たちは、あるいは稲妻の電光を弄ぶ雲を超えて荒涼たる山嶺へ、あるいはまた力強くも単調な、万有のとこしえの歌を呟く大洋の底知れず測り難き大波の前へと、われらを連れ去る。

軍団の先頭を切って歩むは、老いらくのも身ながら不思議にも若々しい、エネルギーと情熱に満ち満ちた、疲れを知らぬ仕事人、八十路に踏み入れ漸くにして物が見えはじめたので、これから真に芸術的なものが創れるだろうと言い放ち、自ら「画狂老人」と称した、作品十万点の作者、北斎その人である(北斎は八九歳まで生きた)

その後を遅れじとそ進むは、そのほぼ全作品が祖国の風景に捧げた賛歌であると言ってもよい広重。

この二人こそは、恰も芸術家たちのために天才的な芸術家たちによって創造されたが如き国土の稀いまれなる天然の美を不滅の器に閉じ込めおおせたばかりでなく、芸術と自然とを愛好するすべての者にかつて魂の快楽を提供し、今も提供し続けつつあり、今後も提供し続ける筈であるばかりでなく、自らの自然の見方、自然の再現の仕方を欧州の芸術家に教えることによって、一九世紀ヨーロッパ風景画に革命をも引き起こした芸術家なのである。

 

素晴らしき国土!

素晴らしき人々!

素晴らしき芸術!

 

出典:Manggha. 〔訳:関口時正〕

 

 
 
     
     
 

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