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京都クラクフ基金の歩み

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京都クラクフ基金の歩み

 

日本美術技術センター「マンガ」建設の夢を実現させたのは、真に芸術を愛する人と人とを繋いでできた不思議な糸であった。その糸が生まれるきっかけをつくったのが、美への限りない情熱と類まれなる雅量を兼ね備えた美術品収集家フェリクス・ ヤシェンスキである。ヤシェンスキは、膨大な数の日本美術・工芸品のコレクションをクラクフの国立博物館に寄贈した。しかし彼のコレクションを常設展示する場所が無いという状況の中、その糸は短いままであたかも切れてしまったかのようにみえた。

1944年、ナチスドイツ占領下のクラクフで、ヤシェンスキの日本美術品のコレクションの一部が、織物会館内の美術館で一般公開された。訪れた人々の中に当時19歳のアンジェイ・ ワイダの姿があった。そこに展示されていた日本美術品は若き芸術家ワイダを魅了した。彼の目の前に、今まで知らなかった全く別の美の世界が広がったのである。それは、将来映画監督の道を歩むことになるワイダの記憶の中に深く刻み込まれた。

1987年、アンジェイ ワイダは、映画監督・舞台演出家としての功績が認められ、稲盛財団京都賞を受賞した。彼と妻のクリスティーナ・ ザフファトヴィチは賞金全額を京都クラクフ基金創設のための資金とした。この基金の目的は、フェリクス・ヤシェンスキの日本美術コレクションを常設展示できる建物を建設することだった。

糸はさらに人と人とを結び付けていった。世界の映画に造詣の深い岩波ホールの高野悦子氏は、ポーランド映画をこよなく愛し、岩波ホール創設時から、絶えずアンジェイ・ワイダの作品を上映してきた。それは二人の間に固い友情の絆を築き、高野氏の、京都クラクフ基金での並々ならぬ献身へと膨らんでいったのである。建築家磯崎新をワイダに紹介したのも彼女である。

彼女の溢れんばかりのエネルギー、人脈の広さ、職業的な地位のおかげで、京都クラクフ基金日本支部事務局が開設され、募金委員長として活躍した三井物産会長の八尋俊邦氏を筆頭として、各界著名人の支持と協力を得ることができた。

国際女性映画祭で、その活躍ぶりを見せる大竹洋子氏の今日に至るまでの、マンガセンターに対する献身もまた特筆に価する。また、評論家・作家である秋山ちえ子氏は、高野氏が組織した募金委員会で、大竹氏と共に日本全国での募金運動を組織した。その時日本中の何十万人もの人々による募金が総額百万ドルにものぼり、また松崎明氏率いるJR東労組も、百万ドルを募金に寄付した。これに日本政府も約3百万ドルを拠出したのである。

一方、クラクフの県と市もその糸につらなることになった。県知事タデウシュ・ ピェカシュ、市長ユゼフ・ラソッタは建設にふさわしい土地の候補をあげ、その中から磯崎新氏が選んだ土地を無償でヤシェンスキ コレクションを収載している国立博物館に提供した。さらに、建築の世界的権威である磯崎氏は基金のために無償で建物の設計を担当した。こうしてようやく建設のめどがたった。

アンジェイ・ワイダ氏の京都賞受賞から実に七年の月日が流れていた。マンガセンターがオープンすると、建物は規約に従い国立博物館に引き渡されることとなった。また、マンガセンターは京都クラクフ基金の拠点ともなっている。

 

 

 
 
     
     
 

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